TOP > web マガジン > コラム バックナンバー > 稲田大二郎 > CASE 3 |
CASE 1 谷田部最高速テストコース CASE 2 ボンネビルスピードウィーク CASE 3 アウトバーン・ニュージーランド CASE 4 シルバーステイツ・クラシックチャレンジ OPTIONや東京オートサロン、D1グランプリの創始者であるDai。そんなDaiの半生は、最高速に捧げてきたと言っても過言ではない。というわけで、普通では体験できない300km/hオーバーの世界を、その歴史と共に4回に渡ってDaiに語ってもらおう。 |
|||
最高速の世界も今回で3回目だけど、谷田部からボンネビルへと舞台を替えていき、マサ斉藤の不幸な事故で完全に谷田部から撤退せざるをえなくなり、普通のチューニングカーの走る舞台がなくなった。ボンネビルは特別な安全基準のための改造が必要だから、簡単に走れないのだ。 | ||
ま、マサの事故でオレの最高速チャレンジも「これを機に終わりにしたら」という意見もあった。しかし、これでやめたら、マサが「Daiちゃん、それはずるいよ。ぼくだけあの世にいかせて」と言っているような気がするし。オレ自身もやめようとは思わない。 最高速はオレのライフワークでもある。 日本じゃ走る場所はない。それなら外国に出るしかない。 1999年8月。スピード無制限で有名なドイツ、アウトバーンにきた。用意したのはブリッツのスカイラインR34GT-R(OPTION&BLITZ R348)だ。アウトバーンといっても300km/h以上出せる区間は1ヵ所くらいしかない。それも一般車の少ない時間帯は早朝4時頃だ。 オレはその一瞬に賭けた。700馬力以上のGT-Rは330km/hを超えようという瞬間、前を走るワーゲンがオレの前の追い越し車線に出てきた。ここでアクセルを緩めたら記録は出ない。インから強引に抜いて前へ出る。その瞬間パワステのベルトが飛んだが、なんとかステアリングをねじふせてクリア。343km/hだった(1999年10月号参照)。ちなみに今年の8月、トップシークレットのスモーキー永田が350GTで同じ場所にトライしたが、341km/hに終わっている。 次に世界のスピードチャレンジを調べていたら、ニュージーランドの公道記録が出ていた。場所はどうやら牧場の私道らしい。早速、問い合わせすると、日本のJAFに相当するクラブがスピードトライアルするためのFIAへの申請や場所の確保、計測すべてを取り仕切ってくれるという。 ここはクローズドなので安全にトライできると思って、たくさんのショップを誘った。ヴェイルサイドR34GT-R、スクートFD3S、ガレージ福井(今のフェニックスパワー)ランエボ、トップシークレット80スープラ、リコーレーシングアリスト、HRFロードスター、そしてJUNオートのインプレッサには小山さんが乗った。 2000年12月。しかし、ここはとんでもない道だった。直線は6km近くあるのだが、計測区間は1kmの平均速度。それより問題なのは狭い2車線で中央が盛り上がったカマボコ状で、スピードが上がると、左右にステアリングを取られるのだ。しかも天候は小雨だった。 結果的には300km/h台が続出し、1300馬力を誇るヴェイルサイドは平均341km/h、トップスピードは346km/hをマークしたが、オレは必死のドライブだった。それにしても公道で350km/hを超えるのは壁なのかもわからない(2000年2月号参照)。 次回は、その壁に向かってのチャレンジだ。こうご期待。 |
||
1999年7月18日、ドイツ・アウトバーンで、ストリートカー公道最速を記録したOPTION&BLITZ R348。目標の348km/hには届かなかったが見事343.35km/hを達成。 |
現地ではプラグ、燃調、パイピング抜けなど、さまざまなトラブルに見舞われたR348。ちなみに、路肩で寝そべって作業しているのは、D1グランプリBLITZチームで活躍しているメカニックの阿部ちゃんだ。 |
|||||
ドイツ・アウトバーンの次は、ニュージーランドで公道最速に挑戦。公道といってもアウトバーンのようなハイウェイではなく、牧場の私道を封鎖した6km/hの直線。道幅がせまく路面は中央が盛り上がったカマボコ状のため、命がけのアタックとなった。 |
チューニングショップ7社が参加した、ニュージーランド最高速アタックのトップに立ったのは、ヴェイルサイドのBNR34GT-R。HKS・GT3240ツイン装着で、なんと1300psを発生するモンスターマシンだ。 |
|||||